2010年6月21日月曜日

田の草とりをしました!


 前回のブログで更新した田植えをした田んぼで「田の草とり」を2回やりました。三島町ではだいたい3回やるそうで、それぞれイチバンゴ、ニバンゴ、サンバンゴというそうです(一番草、二番草、三番草でしょうか?)。
 
 今では除草剤を使えば簡単に終わりますが、それまでは手でかんまわした(かき混ぜて)りして田の草をとっていました。腰を曲げての作業になりますので、伸びたあとの田の草取りは稲に目を突かれケガをすることもあったそうです。
 
 近代以降(主に戦後?)、三島あたりではコロバシと呼ばれる手動の除草機械が導入され、除草剤が普及する前に主に使用されました(今でも、除草剤を散布しない方など使ってらっしゃる方がいます)。

 今回も山形から1人学生が来てくれまして、一緒に除草作業をしてくれました。コロバシは今年、農業を教えていただいているMさんからお借りしたものです。

 ただ、コロバシで取れる草は縦(植えた方向、畝間)だけで。横(株間)は手でかんまわさないと難しいみたいです。コロバシをしたあと、あらためて手で草取り作業もしました。

 残り1回、「サンバンゴ」で終わることができれば嬉しいのですが。

「宮下発電所建設秘話」開催しました!



 先週19日の土曜日、三島町・町民センターにて、講座「三島を学ぶ」第7回「宮下発電所建設秘話」を開催いたしました。講師には三島町文化財専門委員の小柴吉男さんをお招きしました。

 小柴さんは大正13年のお生まれですので、実際に宮下発電所建設の時代を生きています。そのため、公文書などの史料だけでなく、自らの経験もまじえた講演となり、また、今回は建設当時(戦時中)の貴重な写真(写真展「宮下ダムと建設と大火の記憶」より)も教育委員会からお借りしましたので、ビジュアル面も充実し、ひじょうに内容の濃いものになりました。

 講演は只見川電源開発事業につながる、阿賀野川水系のダム発電の歴史からはじまり(滝谷川沿いには大正の頃より発電所が、三島町でも桧原に変電所があったそうです)、宮下に発電所がつくられるまでを丁寧にお話いただきました。

 発電所建設に前後した、昭和16年の宮下までの鉄道が開通したお話、その翌年宮下で百何十軒もの家屋が失われた大火のお話をはじめ、ダム建設に際し日本人だけでなく朝鮮や中国の人びとが働かされ、何人もの犠牲者を出したお話など、あらためて戦争を、そして「戦中」という時代を考えさせる内容でした。

 とくに、小柴さんはダム建設に関連した中国人労働者の問題は詳細に調べられており、戦後の補償問題や後年、三島町を訪ねてこられた当時の中国人労働者との出会いについても触れられ、あらためて戦争の悲惨さを、真実を語り継いでいくことの責任を訴えられました。

 いつもあった参加者からの質問がなく、皆さんが真剣な面持ちで最後まで小柴先生のお話に聞きいっていたことが印象に残りました。今回の講座が、宮下発電所建設についてのさまざまな出来事を語り継いでいくことの一助になればスタッフとしても幸いです。
 

2010年6月19日土曜日

朝顔観察日記1


 
 朝顔の芽が出ました。
いまここカフェのテラスをグリーンウォールで日陰にしようともくろんでおります。
はたしてうまくいくでしょうか・・・。

2010年6月10日木曜日

講座「三島を学ぶ」第7回を開催します!


 今月の講座「三島を学ぶ」は「宮下発電所建設秘話」です。

 私たちの活動する三島町を流れる只見川は豊富な急流で水量もあり、高落差もあるため、水力発電の条件を満たしており、東北や関東地方に電力を供給するための電源開発が戦前より大規模に進められ、発電所やダムが只見川流域に次々と建設されていきました。

 三島町でも昭和16年(1941)に宮下水力発電所建設に着工、昭和21年(1946)には発電が開始され、多くの人々がその恩恵にあずかっています。 

 しかし、戦中の劣悪な労働環境や極端な資材不足などが重なり、宮下の発電所建設には56人(58人?)もの尊い人命が失われた歴史があります。その犠牲者のなかには日本人だけでなく、中国人や朝鮮人も含まれており、彼らを慰霊する石碑が宮下発電所ダム直下の只見川右岸に建立されています。また、発電所建設により只見川の景観も大きく変化しました。

 今回の講座では青年時代に臨時雇いとして宮下発電所建設にたずさわり、以後60年にわたり当時の資料を集めてこられた三島町文化財専門委員の小柴吉男氏をお招きし、三島町の宮下発電所建設に関連したさまざまな出来事についてお話いただきます。

 前回の講座から「いまここカフェ」ではなく、三島町役場隣(同じ建物)の町民センターの一室をお借りして講座を開催しておりますので、お越しの際にはご注意ください。


日 時 :平成22年6月19日(土) 14:10~16:10

場 所 :町民センター(三島町役場隣)

講 師 :小柴吉男 氏(三島町文化財専門委員)

参加費 :無料

主 催 :いまここネット  

共 催 :三島町教育委員会 奥会津書房

お問い合わせ:いまここネット 担当:川合正裕

Tel & Fax:0241-52-2887  E-mail:imacoco2009@gmail.com

※本講座は平成22年度公益信託うつくしま基金の助成を受けています。

2010年6月1日火曜日

「三島を歩く」開催しました


 翌日の日曜日(30日)には「三島を歩く」です。小松昭八さんのほか、ヒンムキでお舅さんであるジサマやバサマといっしょに田畑を作っていたという80歳にもなるKさんに辛くも楽しい思い出話を聞きながら、美坂高原内のヒンムキ周辺を歩きました。


 ヒンムキに訪れたのは30年ぶりだというKさん、無理のきかない身体をおしてのご参加でしたが、ことの他お喜びになり、当時のことを思い出すようにあちらこちらと歩く姿がとても印象的で心温まりました。

 
 その後、美坂高原からは町の天然記念物になっている「おなかなし」という大きなヤマナシの木を見学、岩倉山の鬼子母神、そして西方の西隆寺と歩き、解散となりました。

 実際の場所を訪ねながら経験してきたことを聞かせていただくことで、座学では得られない実感を感じることができた、との感想を参加者の皆さんからいただきました。

 今年度は2回か3回、「三島を学ぶ」と連動した「三島を歩く」を教育委員会とともに開催予定です。今後もブログなどでお知らせいたしますので、興味がおありの方はぜひお気軽にご参加ください。

「三島を学ぶ」を開催しました!



 先にブログでもお知らせしていました講座「三島を学ぶ」を29日に、そして講座に連動して教育委員会との共催で「三島を歩く」を30日に開催しました。

 今回は町民センターでの講座「三島を学ぶ」です。畳の上での講座で、「いまここカフェ」で椅子に座っておこなう講座とは少し雰囲気も変わっています。

 今回は三島町の西方地区の共有林のひとつである、ヒンムキ山の歴史について小柴吉男さん、小松昭八さんより学びました。

 近世における村同士の山の境界争いからはじまり、明治になって国の土地になってしまったヒンムキ(を含む百五町歩におよぶ山林)をとりもどすため、国を相手に私財を投げ打って裁判をおこなった小松爲吉翁(講師である小松昭八さんの曾祖父でもあります)のお話。
 その裁判勝利のお礼として爲吉翁が山で炭を焼いていた大正の頃のお話、そして「戦後の食糧難」時代に十数軒の小屋が建ち並び、カノ(焼畑)で雑穀をつくり、山菜をとって暮らしを立てていたお話など、実に数百年にもおよぶ長い歴史を聞いた話や体験をまじえつつ解説いただきました。

 とくに爲吉翁の私財を投げ打ち、村の共有林を守り抜いたお話には解説いただいた小柴吉男さん自身をはじめ、参加いただいたお客様や私たちスタッフも深く胸を打たれました。

 土地ひとつをとってもさまざまな物語があり、今現在にもつながっているということを、そういった歴史を継承していく必要性をあらためて感じました。

田植えしました


 あっという間に6月になってしまいました。

 5月の末に、いまここネットでは田植えをしました。

 いまここネットのスタッフの中に、農業経験者はゼロ。まずは自分たちが実際に体験 し、スキルを身につけていくことが今年の目標です。そのために、町の中で有機農業を実践しているMさんを先生として、田んぼのことを一から教えてもらうことにしています。

 これまで、Mさんに御指導、御協力をいただきながら耕運、代掻きを終わらせ、ついに5月末に待ちにまった田植えとなりました。

 今回の田植えでは、学生と一緒に学ぶことを企画していましたが、今年は気候が不安定で、気温の低い日がいつまでも続き、さらに水田には水管理の関係もあるため、田植えの日程がぎりぎりまで決定できず、29日に行なうことになり、山形や仙台から4名の大学生が参加してくれました。
 
 地区のTさんに先生になっていただき、ガァジという田んぼに線を引いていく農具でスジを引いたところに、皆でひとつひとつ丁寧に苗を植えていきました。学生の皆さんもとても楽しかったと満足そうな表情でした。

 田んぼのほうは、29日に田植えした3畝の他に、6畝分の田んぼも手で植えさせてもらえることになっていたので、31日にも、スタッフと山形から来た大学生の方 にも手伝ってもらいつつ、植え付けを完了しました。

 ここの田んぼの堰にはカワニナがいて、例年通りなら今月半ばあたりから蛍がよく飛び交います。

 自然と人の宝物がたくさんあるこの地で活動が出来ることが、今後のいまここネットの可能性を広げてくれることは間違いなさそうです。